#24歴史再見! 難攻不落の「小田原城」、その堅守の秘密を探る!!
平成の大改修を終え、2016年にリニューアルオープンした「小田原城」。その歴史を今に伝える数々の展示の見学・鑑賞のポイントをご紹介します。
小田原の街そのものが城だった!? 戦国時代に始まる小田原の歴史ロマンを体感する
南に穏やかな相模湾が広がり、北西には天下の険・箱根の山々がそびえる神奈川県南西の街・小田原市。
そのシンボルと言えば、なんと言っても小田原城。
戦国時代、小田原北条氏が居城として定め、豊臣秀吉との小田原合戦を経て開城、江戸時代には徳川の譜代大名の居城となった歴史があります。
明治時代に廃城となりましたが、昭和時代に江戸期の城郭の姿が再建され、貴重な歴史資産として、小田原の街を見守ってきました。天守閣は2016年に「平成の大改修」を終え、施設内にはその歴史や日本の伝統文化など、見所が満載です。
そうした小田原の大切な資産の調査・発掘・研究に従事する小田原城天守閣館長の諏訪間 順さんにお城をご案内いただき、その歴史、その資産、その価値をお伺いしてきました。
まずは正面入口・馬出門から
小田原駅の南西に位置する「小田原城」。お城を囲む小田原城址公園には5つの出入口があり、駅に最も近い北入口からお城を訪れる人もいるそうですが、せっかくなら正面入口から入城して、殿様気分で歴史のロマンを味わってみてはいかがでしょうか。
ぜひ、お堀に面した正面入口である、「馬出門(うまだしもん)」から小田原城に入っていただきたいですね。2009年に復元されたこちらの門から入るのが歴史的にも正式な登城ルート。2年後には、この馬出門の前の広場に市民ホールが建設される予定で、小田原観光の拠点となるビジターセンターも設置されます。
なるほど、この馬出門から人々はお城に上がったのですね。
さて、馬出門に続く塀には長方形や三角の穴がリズミカルに開いています。これは「狭間(さま)」と呼ばれるもので、ここから敵に向かって弓矢や鉄砲で攻撃したそうです。
そして門をくぐると四角い空間が広がり、正面ではなく、左手に道が続きます。
この空間は「枡形(ますがた)」と言います。仮に敵が馬出門から入って攻めてきたとしても、三方の壁によって、袋のネズミになる仕掛け。まっすぐ一直線に抜けられないところもよく考えられていますよね。
確かに、勢いよく攻め入っても、一瞬躊躇してしまう造り! さすがです。
そして続く少し開けた場所は、「馬屋曲輪(うまやぐるわ)」と言われる、お堀に囲まれた浮島です。ここはかつて敵兵を押し込めるところだったそう。
城の形・構造のことをもともと「縄張り」と呼んでいました。この城は江戸時代の一般的な城郭の形をそのまま踏襲したものです。ちなみにお堀は1983年から約10年かけて発掘し、石垣を整備しました。
そして銅門(あかがねもん)に通じるこの橋は1991年に架けられたものですが、現在の橋は2018年に再度架け替えました。
小さな橋一つとっても、往時のお城の姿を再現するため手を抜かない。小田原城の完全な再建を目指す諏訪間さんほか、関係者の並々ならぬ努力と求めるクオリティの高さに感服します。
そして見えてきた銅門。堅牢な石垣に支えられるように立つ枡形門で、1997年に復元されました。その堂々たる佇まいに、ただならぬ風格が漂います。
石垣の上に渡櫓(わたりやぐら)のある門です。よく「鉄門(くろがねもん)」を擁するお城がありますが、小田原城は銅門。門に取り付けられた飾り金具からそう呼ばれていますが、鉄よりも銅の方が貴重なので、お城としての格を高めています。
門を支える石垣は安山岩(あんざんがん)を使用し、勾配をつけて組み、ノミで模様をつけたもの。また柱は14本使われていて、樹齢300年の目の詰まったヒノキを使用しています。このヒノキはラオスから輸入したものです。上に渡してある梁は国産の松。傾斜する石垣に沿って門を建てるため、ベニア板で型を起こしてから形作るなど、日本の伝統技術の粋を随所に垣間見ることができますよ。
圧巻の銅門を抜けると、二の丸広場となり、お城の塀を説明する案内も。
お城の塀は、まず「竹小舞(たけこまい)」と呼ばれる竹で編んだ軸を中心に、土や藁を撹拌し、発酵させたものを塗っています。その上に牡蠣の殻・布海苔・石灰を混ぜたものを、塗っては乾かしを繰り返して計4回、その上に、布海苔を混ぜて接着力を増した漆喰を2回塗っています。塗りの工程は完全に乾かさないといけないため、手間暇かけて作られていることがわかります。
天守閣のみならず、城址公園の造りや門に至るまで、史実に基づき、可能な限り再建された小田原城。そのこだわりと情熱には目を見張るものがあります。
刀や甲冑で侍を知る
常盤木橋を渡り、階段を上がると常盤木門(ときわぎもん)が見えてきます。ここを越えるといよいよ本丸。1971年に再建されました。こちらは「SAMURAI館」という、刀剣や甲冑を中心とした展示施設にもなっており、外国からのお客さまも意識した内容になっています。
天守閣に輝くしゃちほこの型をはじめ、「江戸時代、最後の仇討ち※」と言われている浅田兄弟の刀などが展示されています。甲冑は5領展示されていて、胴部分の「こざね」など、鉄や革、漆などが使われていて、その細工も見事。まさに工芸技術の粋を集めたもの、と言えます。
※当時、仇討ちとは、幕府にその旨を願い出て、了承を得なければならなかった。浅田兄弟は幕府が了承した最後の仇討ち。
※展示は変更されることもあります。
一番奥の展示室では、鎧兜にプロジェクションマッピングが投影されます。作品名は「花伐つ鎧」。侍をモチーフにした、荘厳でアーティスティックな作品でとても見応えがあります。
「何かここで学んでほしい」、「こう見てほしい」というよりも、観る人それぞれが、この作品から自由に色々なことを感じてもらえれば、と思っています。
天守閣を守る、ということ
常盤木門(SAMURAI館)を出ると、目の前には堂々とした天守閣がそびえます。お色直しをしたこともあり、白い壁がひときわ青空に際立ちます。何でもこちらの本丸には江戸時代、徳川将軍家の御殿が建っていたとか。天守閣の下に御殿、さすがです。
さて、こちらの小田原城が再建されたのは1960年のこと。もはや「戦後」ではない、と復興から高度成長へと日本が少しずつ立ち直り始めた時期です。各地では地域の誇りを取り戻すため、地域再生のシンボルとして、お城の再建がブームになったそうです。小田原城もその流れを受け、鉄筋コンクリートで再建されました。
天守閣は2020年に還暦を迎えます。鉄筋コンクリート造の建物は50年を過ぎると耐震工事を行う必要があると言われます。コンクリートの酸化が進むと鉄筋が錆びて膨張し、亀裂や崩落の危険性が高くなるためです。天守閣は柱と柱の間に耐震ブロックによる壁を32カ所設置して補強しました。
そして、お客さまがもっと快適に見学できるように以前はなかった空調も設置しました。回廊のフェンスも少し低くするなど、残せるものは残しつつ、より見やすく、展示を見ていただけるように工夫しました。ちなみに展示物はすべて刷新しています。
見やすくわかりやすい展示
いよいよ天守閣内へ。誘導サインは石垣の形をモチーフにしたかわいらしい形です。入場券の改札カウンターの後ろには箱根の名産品である寄木細工のアート作品がありました。
ここは博物館ではなく、あくまでも観光施設です。そのため歴史好きの人でも、歴史があまり得意でない人でも楽しめる展示、ということを念頭に置きました。歴史が得意ではない方にはわかりやすく、歴史好きの方にも「おっ!」と思ってもらえるような仕掛けを施しています。
そもそも小田原城は、戦国時代、北条氏が居城として定め、1590年、小田原合戦で豊臣秀吉に城を開け渡して以降、江戸時代には徳川幕府の譜代大名が本拠地とした歴史があります。明治以降、廃城となりましたが、その後、皇室の御用邸になるなどの歴史を経て、戦後、お城が再建されました。そのような歴史は、天守閣内の展示を見れば一目瞭然です。
1階はまず、江戸時代の小田原城についての展示です。「陸と海の番人」として、箱根を前に、関東の要所となった小田原城。徳川家康は、城主に信頼を寄せていた譜代の家臣・大久保忠世を指名。以降、春日局を母に持つ稲葉正勝、大久保忠朝・忠真など歴代の城主の紹介や、小田原城の模型や三葉葵の瓦なども展示しています。面白いのは全国にある現存天守の高さ比べ。小田原城は7番目の高さを誇り、東日本では一番の大きさです。
「難攻不落の城」と言われた訳
2階は戦国時代の展示。伊勢宗瑞(北条早雲)から北条氏直まで、小田原を治めた北条五代の紹介とともに、戦国乱世、小田原城がどのような運命をたどったか、最新の研究をわかりやすい形で展示しています。
北条氏は小田原の町で平和な国造りを行ってきました。戦国大名としても着実に勢力を拡大してきましたが、1589年11月、天下統一を目前とした豊臣秀吉から宣戦布告状が発せられます。そして翌年の4月中頃までには、小田原城は包囲されてしまいます。全国の諸大名はすでに秀吉の配下となり、集まった兵はおよそ21万騎。迎え撃つ北条軍は3万4000騎と、圧倒的窮地に追い込まれた訳です。しかし、秀吉はなかなか攻め入ることができない。それは、北条氏が築いた「総構(そうがまえ)」によるもの。堀と土塁で城下を囲むように作られた防衛線で、9kmにも及びました。これにより、秀吉が率いる大軍を前に、およそ3カ月籠城した歴史があります。
このような歴史をわかりやすく展示するため、北条氏が治める平和な時代はアイボリーに、小田原合戦は赤で壁の色を分けています。
小田原合戦から開城に至るまでの、北条氏政・氏直親子の葛藤や心の動きが映像となって見られるため、より深く小田原合戦の様子を理解することができます。
楽しく知る、楽しく体感する
3階から4階は、発掘作業で見つかった出土品の展示、子ども向けの「小田原城検定クイズ」、明治期以降の小田原城の様子が写真パネルで展開されます。昭和中期のお城の復興以前には、意外なものも天守閣の場所に建っていたので、ぜひ確認してみてください。
※4階の展示は企画によって変更されることもあります。
ちなみに2017年に導入された、まち歩きアプリ「小田原さんぽ」をインストールすれば、小田原城はもちろん、小田原の観光スポットの情報を得ることができますし、さらにAR機能を利用すれば、当時の小田原城周辺の様子を見ることができます。
天守閣内では、ぜひ「小田原城展示ガイドアプリ」を活用しましょう。各展示を音声で細かく説明してくれます。
最上階5階まで来ると、展望デッキからの光が差し込みます。見晴らしはとてもよく、天気が良ければ伊豆大島や新島、さらに相模湾の先、房総半島まで見えるそうです。先ほどのアプリのAR機能を起動させれば、小田原合戦籠城時にどこにどの敵がいたか見ることもできます。
そして、この最上階には「武士の間」が設けられ、摩利支天像が安置されています。江戸期に描かれた絵図に則って大改修で復元されたものです。小田原産の木材を使い、小田原の職人によって造られた空間。特に堂々と空間を支える将軍柱には樹齢300年の杉を使用しています。
江戸時代には、摩利支天を含む仏像七尊が安置され※、小田原城の西にそびえる山々と合わせ「天守七尊 諸山十尊(てんしゅしちそん しょざんじゅっそん)」と呼ばれています。絵図を見るとなぜか西を向いて安置していることが謎なのですが、この小田原城の守り神ですよ。
※摩利支天以外の六尊は、現在、小田原市内の寺社に安置されています。
小田原の歴史を後世に伝える
往時の面影を感じる城址公園、美しくそびえる天守閣、そして見応えのある展示。「平成の大改修」を終えて、すべてがパワーアップしていて、一気に小田原城や小田原の街について詳しくなった気がします。
天守閣内の展示は小田原の歴史がぎゅっと詰まっています。小田原合戦は歴史の転換期。そのような点からも、ぜひ訪れていただきたい。天守閣の360度広がるパノラマの眺望も本当に素晴らしいですよ。
難攻不落と呼ばれ、あの豊臣秀吉を手こずらせた城の歴史。漠然と「北条氏の城」という認識だけではもったいない。わかりやすい展示と最新アプリでより楽しく、少し賢くなること間違いなし。次のお休みは、遥かなる歴史ロマンを味わいに訪れてみてはいかがでしょうか。
ご紹介した小田原城は、ハマトク限定特典があります。カードをご提示いただくと、ご利用代金(入場料)が10%引きに!この機会に小田原城天守閣、小田原城址公園に足を運んでみてはいかがでしょうか。
※掲載内容は2019年3月時点での情報です。