ハマトク produced by 横浜銀行

横浜バンクカードで神奈川県をよりおトクに楽しむお手伝い!

横浜・神奈川から世界へ

「富士屋旅館」 -湯河原の活気を取り戻す-

#27「富士屋旅館」 -湯河原の活気を取り戻す-

富士屋旅館を再生した人たちには、一体どんな想いや願いがあったのでしょうか?旅館のこれまでと、これからを聞いてきました!

「富士屋旅館」の再生にはこんなストーリーがあった!裏話を知れば旅行がもっと味わい深くなる!

前回、富士屋旅館の再生に携わった市川さんに館内をご案内いただき、現在の旅館の魅力や見どころを教えていただきました。その中で、「歴史的価値を残しながら再生することの難しさ」を改めて知り、更に詳しいお話を聞くべくインタビューを試みました。

“貴重なもの”だらけの旅館

前回、富士屋旅館全館をご案内いただき、たくさんの見どころを教えていただきました。中でも印象的だったのが、「これは本当に苦労しました!」と市川さんがおっしゃっていた“歯抜け状態だった欄間障子(らんましょうじ)”です。

失ったピースを再現し、ひとつひとつはめ直したという苦労の甲斐あって、どれが古いピースでどれが新しいピースか目を凝らしても本当にわかりません。

写真1

こうした欄間障子のほか、柄の掘られた窓ガラスなど、現在作れる職人さんがほとんどいなく、大変貴重なものだそう。ではなぜ、富士屋旅館にはこうした歴史的価値の高いものが残っているのでしょうか?

その答えは、「現代、富士屋旅館を想う人々が“古いものを残したい”と歴史を大切にしているように、昔の人も古いものを壊さないよう、大切に守ってこられたからだ」と、推測できます。

写真2

例えば、旧館の窓をよく見ると、同じ枠に入っていても違う柄の窓ガラスがはまっています。「こちらのガラスはおそらく大正のもの、あちらは昭和のものでしょう」と市川さんがいうように、窓が割れたら「作り直す」のではなく、「古いものに合わせて」新しいガラスを入れ直したことがわかります。

古いもの、歴史的価値の高いものをできるだけ残したい、という旅館の人たちの気持ちは、今も昔も変わらないのです。

富士屋旅館、実は江戸時代からあった!?

大正7年に出版された「湯河原案内」によると、富士屋旅館は明治9年に温泉旅館を始めたと記されていますが、実は江戸末期にはすでに前身となる旅館があったと伝えられています。その理由として、幕末の落語家・三遊亭圓朝氏の演目“名人長二”の中で、主人公が湯河原の“藤屋”に投宿した場面が出てくることが挙げられます。

富士屋旅館の歴史的文献は、昭和21年の倉庫火災により焼失してしまったのですが、落語の中に名前が残り、口伝として受け継がれているとは、なんともロマンがありますよね。

こうして、幕末には建っていたとされる富士屋の前身となる旅館なのですが、明治43年ごろに起きた藤木川の氾濫により、建物が流失してしまいます。ところがときの当主はこの大惨事を見事跳ね返し、旅館を再生。昔の隆盛を取り戻したといいます。その後大正12年に建てられたのが、現在の旧館の建物にあたるそうです。

写真18

建物の流失からの再生、廃業からの復活と、富士屋旅館は少なくとも2度、生まれ変わっていることがわかりました。

幕末の富士屋旅館創業者の想いは、2019年も受け継がれています。

写真03

もう一度、湯河原を元気にしよう!

写真16

富士屋旅館は湯河原温泉の中心地域にあり、歴史的価値や景観の美しさなどで、湯河原のイメージをけん引してきた旅館のひとつです。ところが、人々の余暇に対するニーズ、旅行形態の変化により、湯河原温泉街そのものが衰退したこと、また、後継者不足などの問題で、2002年に廃業を余儀なくされます。

ところが、町をはじめとした観光協会、温泉協会など地域からの再生を望む声が強かったこと、また、地域経済活性化を図る“かながわ観光活性化”のプロジェクトが立ち上がったことにより、“歴史的価値の高い富士屋旅館を再生し、もう一度湯河原を元気にしよう!”という計画が2016年にはじまったのです。

富士屋旅館の持つ歴史的価値を再認識し、周辺景観に影響を与える建築意匠を保存・再生することを念頭に、旅館としての機能を回復させ、再び現代に蘇らせるべく、たくさんの人々が同じ志を持って立ち上がりました。

廃墟のようだった洛味荘と新館

「富士屋旅館の歴史と伝統を、できるだけ残そう」とはじまったプロジェクトでしたが、実際に蓋を開けてみると想像以上に損壊が激しかったのが洛味荘と新館です。

屋根の損壊が激しく、雨漏りにより天井、外周壁、床は各所で崩落。建具の傷みも激しく、建築当時の面影は偲ぶべくもなかったといいます。

見せていただいた着工前の写真では、床が抜け、土が見えていたことがわかります。

写真5

「洛味荘の階段は、運よく残っていたもののひとつ。壁がなくなり、階段がブラブラと宙に浮いた状態でしたが、こんなに大きな一枚板は貴重なので残したかった。新しい壁に付け替えています」という、洛味荘の階段。

写真5

着工前の旅館の姿からは想像もつかないような、洛味荘の素敵なライブラリー。アンティークの本棚からお好きな本を一冊。窓からは美しい庭園が臨め、落ち着いたひと時が過ごせます。

写真6

ライブラリーの窓の外側にある手すりは途切れていたため、古いものに合わせ新しいものを作り、つなぎ合わせたそうです。よく見ると、つなぎ目があることがわかりました。

写真7

苦労の連続だった3年間

比較的損壊の少なかった「旧館」も、雨にさらされたことによるカビなどに悩まされたといいます。一度木材を外して洗い、もう一度組み直す“洗い出し”という作業を、柱や天井まで行ったそうです。

洗い出ししたものの中で特に注目してほしいのが、本館や洛味荘にある菊や千鳥、鳳凰などの板欄間。こちらは昔の匠のこだわりや技術をそのまま残しています。現在は作れる職人も少なく、繊細でとても貴重なものだそうです。

写真8

「これは残す・これは思い切って見切る」という判断を下す、選定の作業も苦労されたそうです。これだけの広い敷地内で、残ったものをひとつひとつ確認し選定する作業は、想像しただけでも骨が折れます。

ですが、中島社長をはじめ際コーポレーションのみなさんは、とにかく「古いものが大好き」。当時の匠のこだわりや遊び心をひとつでも多く残したいという強い想いで、崩れかけた建物の中から歴史のかけらを選び出されたのだと思います。

「いっそ壊して新しく作り変えたほうが、手間もお金もかからないけれど、私たちの課題は“残すためにどうしたらいいか”でした。新しい、綺麗なものにするのは簡単だけど、そうすると風情がなくなってしまうから、基準はやっぱり“古いものに合わせる”。そのため、予想以上に時間もお金もかかりました」といいます。

写真9
写真10

2017年、想定していなかったほどの傷みが発覚し、設計と予算の見直しのため、半年ほど作業を中断したこともありました。なんと一時は「このままでは運営ができない。事業を取りやめるか……」という話まで持ち上がるほどだったそうです。

けれど、「お客様に喜んでもらうために、中途半端なことはできない」と、再び奮起。無事にこの春、営業を再開することができたそうです。

こうしたたくさんの人たちの強い信念と苦労があったからこそ、現在の富士屋旅館がこんなにも美しいのですね。

写真14

歴史的建造物を守るために

写真11

旅館を運営する中で、特に気を付けているのが「日頃の適切なメンテナンス」だといいます。古いものを残しているからこそ、ちょっとした不具合も目立ちやすいそうで、常にスタッフひとりひとりが注意・チェックし、すぐにメンテナンスをすることが重要になります。

この日もカメラマンが気付いた、わずかな歪みを指摘すると、市川さんはすぐに金槌をお持ちになり、即座にメンテナンスを行いました。こうした日頃の気づきとスピーディな処置が大切なのだそうです。

改めて感じる富士屋の魅力

貴重な歴史や再生ストーリーをお聞きし、再生に携わった人たちの「歴史を受け継いだ使命感」を強く感じることができました。それによって、前回ご案内いただいた富士屋旅館の見どころがいっそう魅力的に映りました。

「どこが古いのかな?」と部屋を見渡し、発見できたときの楽しさはひとしおです。旅館の歴史や内装の新旧などは、スタッフ間で共有されているそうなので、気になるところがあれば聞いてみましょう。

写真20

これからの富士屋旅館

写真17

ここまで、生まれ変わった富士屋旅館を紹介してきましたが、旅館が蘇ったことがゴールではなく、「ここからが正念場」と市川さんはいいます。

旅館再生後、地域のお祭りに積極的に参加したり、イベントにちなんだメニューを考案したりと、富士屋旅館の人たちの想いは常に前を向いています。

湯河原では、藤木川の不動滝から泉公園までの約2kmの道を、神輿が温泉の「湯」を浴びながら温泉街を練り歩く「湯かけ祭り」や、万葉公園で踊り舞うほたるを鑑賞する「ほたるの宴」、サンバチームが温泉街を華やかにパレードする「ゆがわらサンバカーニバル」など、一年を通しわくわくするイベントが目白押しです。

インタビューの最後には、「富士屋旅館の繁栄だけでなく、他の旅館の人たち、町の人たちと一緒になり、もっと湯河原の温泉街そのものを盛り上げたい!訪れる人を増やしたい!というのが、プロジェクトに関わっている私たちすべての願いです」という、みなさんの強い想いを教えていただきました。

写真19

17年もの眠りの末、見事に生まれ変わった富士屋旅館だからこそ、一度は衰退してしまった温泉街の活気をも取り戻せるのではないか……そんな風に感じました。

そして、たくさんの人たちの旅館を大切に想う気持ちが、時代を越え受け継がれ、現在の富士屋旅館を彩っているように思えました。

富士屋旅館はきっと、次の時代でも輝いていることでしょう。

今回は、市川さんのインタビューをもとに、富士屋旅館の歴史と、再生ストーリーをご紹介させていただきました。

次のお休みは是非、蘇った富士屋旅館で大正ロマンを味わいに訪れてみてはいかがでしょうか。

ご紹介した富士屋旅館と旅館内の料理屋 瓢六亭は、ハマトク限定特典があります。
富士屋旅館のご予約時に優待のご利用をお伝えいただき、カウンターでカードをご提示いただくと、ご夕食のコースを5千円分グレードアップ!
さらに瓢六亭にてカードをご提示いただくと、お好きなお飲み物を1杯サービス!瓢六亭は宿泊のお客様以外でも、お食事だけのご利用も可能です。
限定特典が盛りだくさんのこの機会に、横浜バンクカードを用意して富士屋旅館へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

富士屋旅館

【住  所】〒259-0314 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上557

【電話番号】0465-60-0361

瓢六亭

【住  所】〒259-0314 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上557

【電話番号】0465-46-6091

※掲載内容は2019年6月時点での情報です。