女神と龍の
切ない恋物語

竜宮城の形をしている小田急線・片瀬江ノ島駅。江ノ電・江ノ島駅近くにある龍口寺や、江島神社の龍の銭洗、龍宮(わだつみのみや)、龍恋の鐘・・・江の島には「龍」をモチーフ・名前にしているものがいくつかあります。
神奈川県に伝わる昔話・伝説を集めた「かながわのむかしばなし五十選」(神奈川県教育庁文化財保護課 編・著)によると、江ノ島には「天女と五頭竜」というおとぎ話が残っていました。

 

昔々、鎌倉の深沢には森の中に大きな湖があり、五つの頭を持つ五頭龍と呼ばれる龍が住んでいた。
五頭龍は、山を荒らしたり、洪水を起こしたり、田畑を荒らすような悪い龍で、村人は五頭龍に対し、人身御供として泣く泣く子供を差し出し暮らしていた。
ある日、この一帯に大きな地震が起こり、10日間続いたのち、天から黄金の光と共に美しい天女が現れた。天女、弁財天は、空から石を降らせ、海の上に新しい島を造り、そこに住んだ。
一方、五頭龍は弁財天の美しさに一目惚れ。即、会いに行き、求婚を申し出たものの、
「これまでの間、悪行で村人を苦しめ、幼き子の命を奪ってきた、そんなあなたと夫婦になることはできない」
と告げ、弁財天は島の洞窟へ戻った。
これにショックを受けた五頭龍は、翌日改めて島を訪れ、弁財天の前で改心を誓った。それを信じ、受け入れた弁財天は五頭龍と夫婦になった。
五頭龍は誓いに従い、村人に尽くし、やがて村人からも愛される存在となったのだった。しかし、村人のために体力を使い果たした五頭龍の命はやがて尽き果て、最後に五頭龍は、「これからは山となってこの地を守りたい」と告げ、永遠の眠りについたそうだ。

江の島から鎌倉は
龍の横たわる地

かつて龍が棲んでいたとされる深沢は、今では湘南モノレールが走る住宅地となっています。
一方、伝説の中で五頭龍に子供を人身御供として差し出した場所を、人々は「子死越」「子死恋」と呼び、それが今では江ノ島電鉄が走る「腰越」になったといわれていますが、五頭龍から逃れるために人々が腰まで水に浸りながら逃げたことから腰越と呼ばれるようになった、という説もあります。いずれにしても、江ノ電が走り、漁港で採れたての魚料理を食べることができる今の風景からは想像がつきません。
五頭龍が死後、山になったと言われている場所は江ノ島駅すぐ、龍口寺がある小高い山が龍の口、龍口山といわれています。五頭龍を祀るために、当時の村人は龍口寺の隣に社(龍口明神社)を建立したのですが、昭和53年、氏子百余名の要望により、江の島を遠望し、龍の胴にあたる現在の地へと移転しました。
龍口明神社は、鎌倉に現存する神社の中で最も古い社とされており、祭神には五頭龍大神のほか、龍神として崇められたと伝えられる玉依姫命(たまよりひめ)が祀られています。
毎年10月上旬の土日に例祭が行われ、神輿を江の島まで運ぶ「神輿渡御」という行事が行われます。また、60年に一度大祭が行われ、その際は五頭龍像を鎮座した神輿を江の島まで渡御させるのです。

信仰の地から
一大観光地へ

五頭龍像が渡御する先、江の島は、まさに伝説で弁財天が「空から石を降らせて作った」とされる島です。
今でこそ神奈川の観光地の一つに数えられますが、鎌倉時代頃までは島全体が信仰の対象とされており、みだりに渡ることはできませんでした。江戸時代になると、弁天信仰の地として栄え、江の島詣では大山(伊勢原)詣でとセットで江戸っ子に人気のお参りという名の行楽スポットになっていたようです。
島の中心である江島神社は、日本三大弁財天を奉っており、江の島大橋側から進むと順に、北側の「辺津宮(へつみや)」に田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)を、中央の「中津宮(なかつみや)」に市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)を、西の「奥津宮(おくつみや)」に多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)をそれぞれ祀っている、日本三大弁財天のひとつです。
江の島の奥には弘法大師が訪れた際には弁財天がその姿を現し、また源頼朝が戦勝祈願に訪れたとも伝えられる岩屋が、その岩屋の上に位置する丘には、弁財天と五頭龍の伝説にちなんで建てられた「龍恋の鐘」があり、映画のロケ地にもなりました。
また、江の島といえばしらす漁が盛んで、春のほか、7月、10月には採れたての生しらすを味わうことができます。
2017年最初の解禁は3月11日からはじまってます。少し早い春の風を感じながら、生しらすを味わうなら今がチャンスです。

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